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カリブ海の友人たち [カリブ海の島々]

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これからパナマを越えて南太平洋に向かう友
 左から クリス&ソフィ クリストロフ ランディ&英子さん

いよいよカリブ海とももうすぐお別れです [カリブ海の島々]

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もうすぐパナマ 大西洋最後の航海です

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 3週間の船旅ももうすぐ終了です

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 パナマはコロン市に着きほっとする丹来さんと娘

サンブラス諸島の小さい島の前にアンカリングしていると、この辺に居るヨットはカリブ海を回ってきており、これからパナマから太平洋にという船が多く、自然顔見知りが多く仲間意識が芽生えていて、寄って来て情報交換をしてくれます。

今 パナマ運河を渡るべく、パナマの大西洋口であるコロンに居ります。この町は中南米一危険といわれています。確かに古びて廃墟化したビルや昼から建物の内外でうごめく怪しい人々を見ると、中南米一危険というのも理解できます。運河越えはかつては申し込んで72時間待てば渡れたそうですが、いまはアメリカから返却されて8年経ち諸物価も高騰しており、それに比べて運河の通行料やパイロットの給料は上がらないため、待遇改善サボタージュを始めたそうです。これはストライキでなく安全の為通過作業を確実に且つゆっくり行う為一日に通過できる大型船の数が減り、ヨットなど不要不急のものは1日3隻それも夜間のみとされているのです。3月27日に申請して31日通行料支払いで通過日は5月12日となりました。友人は3月27日に申請して4月3日通行料支払いで通過日は5月20日になりました。そんな訳でまだパナマのコロンです。

今居るヨットハーバーは1999年までアメリカの海軍が占領して整備していた、軍人軍属運河関係者の為のリゾートマリーナ部門を民間に委託した所で、まだ撤去していない施設が沢山あるため、ピストルとライフル携帯のガードマンが要所要所警備しています。コロンのアンカレッジでは、ここ2週間でヨットの足舟(エンジン付きディギー)が4隻盗難にあったことが信じられないくらい安全です。

そしてここは国立自然公園の一画に面していて、10分も歩くと数え切れないほどの野鳥や色々なサルが見られます朝と日暮れに散歩をするようにしています。


サンブラスの島々 [カリブ海の島々]

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小島をめぐるクルーズ

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 絵葉書のような所にアンカリングする若水

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 強風のなかカヌーを操り水汲みに来た子供たち

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 子供連れで民芸品を売りにきた母と子

何の産業もない島では現金収入が少ないので、当然私たち観光客になにか土産品を売ったりします。有名なのは手刺繍で作ったモラですが、以前は知りませんがそのレベルはあまりに低く、1枚10-15ドルの売値ですが、とても買う気にはなりませんでした。

2~3家族しか住まない小さくても美しい島々が沢山ありました、そこは何百人も住む島の人とは又違う感じで、本当の意味で自給自足生活のようです。若水の泊地は3つの島に囲まれていました。その2つの島に数家族が住んでいるようですが、井戸が1つしかないため、毎日丸太カヌーで子供(5-8歳位)が器用にカヌーを操り水汲みに行き来するのが見られます。毎日のことですから風の強い日や雨の日は大変だと思います。

サンブラス諸島に来るには、かつては小さい飛行機で来るか、ヨットで来るしか方法がありませんでした、最近はクルーズシップがブームのため、パナマやカリブ海から毎日訪れているようです。このことは2000人3000人単位の観光客が押しかけるわけで、クナインデアンにとってはかなりのプレッシャーだと思います。これからこの民族はどのように変化していくのかとても興味があり、今後も注視していこうと思いました。


島の暮らしは厳しい [カリブ海の島々]

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数家族の住む小島の様子

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 「写真撮って!」と言って、モデル料を請求する少女たち

生活の糧は、木彫りの丸太カヌーを操り魚捕りや1時間位離れた本土に行き焼畑や果樹を取ってくる生活のようです。島には小さいながら小学校もあるそうですが、就学率はまだまだ低いそうです。

いよいよサンブラス諸島です [カリブ海の島々]

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この島に300人以上の人が住んでいる

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 家並み

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 丸木舟で島と南米本土と通勤する親子(4キロくらい)


やっと到着したクナインデアンのサンブラス諸島ですが、大きい島には300人も400人もいますが、住んでいるのは小さな家で、竹や椰子の葉で出来ており、自家発電の電気で家々の灯りは10時頃に消え、所々に外灯がついていました。

島に上陸して子供たちに道案内を頼みました。10坪くらいの家がぎっしり並び、土間は土で簡易ベッドマットを土間に敷いていたり、炊事場は家の中にある家と別棟にある家がありました。いずれにしても日本で捉えるなら電気が来たばかりの最貧困部落かなあ、と言うところです。 まあ、タイやミャヤンマー、ラオスの国境山岳地帯に暮らすメオ族アカ族の人達と風貌から生活様式が似ており、私たちと同じモンゴロイドだろうと思いました。


苦あれば超楽あり [カリブ海の島々]

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 ミラマーに停泊

クナインデアンのサンブラス諸島には、この港から東に行かねばなりません、ヨット用語で真登り(クローズホールド)です。若水のもっとも苦手とするコースで、日中の帆走での到着は無理なため、海図やガイドブックで小さい湾を見つけ、入港しました。

そこはほんとうに小さい湾ですが、外海は時化ているのに波もなく静かで快適でした。入港時に、ジェットスキーで若水に飛び乗ってきてコースを教えてくれたフランス人のセグラベンテは、湾を見下ろす丘の上にレストランを家族で経営しており、早速我々も南フランス料理を食べに出かけました。

若水の停泊地の直ぐ前には小さいリゾートホテルが出来ており、ちょっと覗きに行くと「ウエルカムですよ」と言われ、ジャグジーやシャワーやレストランバーを自由に使わせてもらいました。あまり居心地が良いので2泊してしまいました。


なかなかたどり着けないサンブラス諸島 [カリブ海の島々]

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カリブの海賊を撃退するための大砲

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 現在世界遺産になっているポルトベーロ砦

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 中南米から略奪した金銀財宝をスペインに輸送する為の倉庫

着いた所は世界遺産の町PORTOBELO。コロンブスが発見してカリブ海や中南米の財宝をスペインに送り出す港として有名な町でした。その町も度々海賊にやられるため、堅固な砦を築き町と財宝を守ったのだそうです。

サンブラスへの航海 [カリブ海の島々]

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 スピード記録更新

時化のなか、4晩目深夜にパナマ国ポルトベーロ到着しました。オランダ領アルバを3月15日昼前出航しました。20ノット(10メートル)から25ノット(12メートル)の少し強めの東風を斜め後方より受け、快調かつ快適にセーリングを楽しみました。少し波風が強まった程度で、まあ平和な夜でした。翌16日の日中までは少し強い程度でしたが、16日夜半から30ノットを超える風と波高も2.5メートルから3メートル超えになり、ついには40ノットの風に変わり時化になってしまいました。その様子は写真で見てね、妻と娘はセーリング経験ほとんど無い素人。不安に耐えた90時間だったことでしょう。


トラブル続くも元気にパナマへ [カリブ海の島々]

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アルバ到着前夜の夕日

 若水は3月12日朝アルバからパナマのサンブラス諸島に向け出航すべくマリーナから出国手続き桟橋に移動しましたが、まだアルバに居ます。
 イミグレーションの出国手続きが終わり、次はカスタムでシップクリアランスをもらい、と思ったとたん、エンジンが警報音と共にストップしてしまいました。原因はアルバに着いた次の日。温水ヒーターのタンク腐食による漏水でタンクを撤去した後、処理不都合でのオーバーヒートでした。
 トラブルは日常ですが、こう続くと乗り組み員も疲労しますが少し休んで、幸い修理も終了してタンクはパナマ受け取りの段取りをつけました。先日、ダラスからマイアミと乗り継いでアルバで合流した妻と娘にも元気づけられ、3月15日再出航の予定です。

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アルバのレストランで妻と私

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アルバの港で妻と娘

カリブ海の航海 [カリブ海の島々]

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海、島、空

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海の向こうに見える島影

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念願の芭蕉カジキ

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夕暮れの帆走

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サンセット

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島の頂上を走る雲、そして空。僕らはカリブ海にいる。


名も無い入江で [カリブ海の島々]

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名も無い小さな入江でアンカリング

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水浴する馬上からこちらを見る人。サッカーボールを蹴る人。

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走る人あり。……こうして、時が流れていく。

次なる島へ向けナイトセーリング

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到着したのは

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イングリッシュ ハーバー

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別世界のようです

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そろそろ終盤です [カリブ海の島々]

 早いものでもう三月半ばですね。

 私達は現在、カリブ海の南東側オランダ領アルバにおります。

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<インジリッシュハーバーにアンカリングの若水>

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<上の写真で若水にもう少しズームアップ>
イングリッシュハーバー係留シーン
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 ここはABCアイランドといってオランダの植民地だった所で、ヨーロッパの人達に大人気の観光地です。著名なリゾートホテルが目白押しで、今居るハーバーもホテルやアスレチック、スパ、無人島リゾート、大ショッピングモールなどなど、それはもう巨大で、東京銀座の有名ブテックを全部集めたくらいの規模です。そして、レストラン街にバー、カジノ。要するに、現代人の欲望のすべてがあるようです。

 カリブ海の旅もそろそろ終盤です。

 セント・ルシア、マルチニーク、またセント・ルシア、そしてアンチグア、バージン諸島と、ヨットの修理をしながらのクルージングでした。発電機はついに大発電量の高額新品のものに乗せ換えました、この顛末はこれだけで長文が書けるぐらいカリブ海商法に翻弄させられました。
 また、カリブ海の島々はヨーロッパ列強の国々が熾烈な戦いをして取り合った島々ですから、とことん欧米人中心に出来ており、植民地の仕組みや社会の不条理を否が応でも認識させられました。
 日本のヨットは非常に珍しいらしく親切にもされましたが、カモにもされました。接する欧米人は親切派と不親切派にはっきり分かれていたように感じました、もともとはここにどんな民族が生活していたのか今となっては知りようがありません。

<セントジョンの植民地風町並み>



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大衆向け大きい客船

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こちらは本物の豪華客船 イギリス クイーンメリー

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スペイン以来初めての船底掃除&塗装

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 次なる目的地はパナマ国サンブラス諸島です。

 ここに住むクナ・インデアンは、1925年にパナマ政府から自治権を勝ち取った誇り高い民族で、絵に描いたような島と海に今でも自給自足に近い生活をしているとのこと。訪れる楽しみに、わくわくしています。
 そしてパナマ運河越えまで妻と娘が同行します。この事もハッピーな気分にしてくれます。では近々又報告しましようね。

  若水 菅原 廣

妻と娘がもうじき合流 [カリブ海の島々]

もうじき来るんですよ。誰がって? ウフフ。



寒中お見舞い申し上げます [カリブ海の島々]


               <サン・ピエール泊地から見た夕日>

遅ればせですが、寒中お見舞い申し上げます。こちらカリブ海の元日は、マルチニークにSご夫妻をお迎えし、その幕を開けました。

S氏は私が社会人に成り立ての頃、勤務先に顧問弁護士として就任されて以来30年以上、公私にわたり兄事(けいじ)し、人生の節目には必ずよき助言をいただいてきた先生です。そのS氏よりメールを次のような頂いておりました。

人生は面白いもの また楽しむもの 実感すべく 妻と二人で出かけます 12月31日成田発 1月1日パリ シャルルドゴール着 オルリー乗換えで同日夕方マルチニーク着 1月6日夕方マルチニーク発 数日パリで絵を見て 食事をして帰ります 段取りよろしく

それでは、Sご夫妻と過ごしたカリブ海での正月をご紹介しましょう。

2008年1月1日 (火) 元日
夕方5時、定刻どおりにセーターに冬ズボンでSご夫妻が空港にお見えになりました。まずはカリブのジュースビールで喉をうるおそうと空港外のカフェーにお連れすると、5分もしない内に汗と共に夏モードに切り替わったのでした。
そして、Sご夫妻は数々の懐かしい日本土産となんと正月のしめ飾りやお供え餅、そうです日本の正月持参でお見えになりました。


                 <若水に正月が来た!>

2008年1月2日 (水)
9時半、ホテルより島南部のヨットハーバー、ル・マランに到着。船内構造設備の説明の後、使用してもらう船室をご案内。その後ヨットハーバー散策後、ゲストとクルー全員で伊芸司厨長手作りの歓迎昼食!
午後は町の散策。S氏は少年時代にもっともなりたかった「画家」の修行を始めており、いつもスケッチ帳と水彩絵の具を持参されてました。気に入った景色を見つけると、その場で絵を描き始めるのです。奥方もその傍らで笑顔で見守っておられる。その姿は信頼深い、年季の入ったご夫婦とすぐわかり、こちらもそばに居て気持ちのよい時間を過ごすことができました。

夜はマリーナの評判のレストラン『インデゴ』でシーフードを楽しみました。

2008年1月3日 (木)
朝食後、ヨットハーバーを出航。北東より25ノット(風速12メーター)の風を横前から受け、快適にセーリング。


            <初セーリングに少し緊張気味のご夫妻>

目的地まで約5時間と思いきや、途中、S婦人軽度の船酔いを発症したため、直ちに予定変更。レザンス・ダレという小さい漁村の沖にアンカリングしました。
ここは後ろが山のため農業も出来ないと思われる、まったくひなびた漁村。どのようにして生活しているのか疑問に思いました。しかし、すれ違う現地の人は素朴で明るくフレンドリーでした。
昼食後、皆ゆっくり時間を過ごしました。勿論S氏はスケッチに水彩画でした。


             <写生をするS氏、そしてご婦人>


        <レザンス・ダレ村前の泊地でくつろぐS婦人>

夜は地元の人用(?)のレストランにて全員で夕食をとりました。食後に散策をしていると、小さな川辺に出ました。そこは蛍が乱舞する処でお正月に蛍が見れる喜びを皆で共有しました。レザンス・ダレの教会前の泊地は波静かでとてもゆっくり時間が過ぎていきました。

2008年1月4日 (金)
朝食後、錨を揚げて今日はここから3から4時間掛けて島北部のサン・ピエールまで移動です。この町は百年前にペレー山の噴火で一度全滅に近い被害を受けた所だそうです。
「若水」は南東の風を受け快調に帆走。午後、町の公園前泊地に錨を無事に下ろしました。


          <サン・ピエールの海岸と砦跡に残された大砲>

この町は植民地時代の香りがそこそこに漂っていて、砦の跡や教会など、また町並みも時代を感じるというより取り残された町のイメージを強く感じました。しかしそこに住む人々は、クレオールというアフリカからの移民とカリブの民の混血ですから、とにかく明るく楽天的で、基本的にはフレンドリーですが、夜になるとやはり危険な匂いの人もいて退屈しませんでした。
夜のレストランはフランス料理そのものでなかなかのレベルの食事が出来ました。夕食後S氏が釣りをしたいとのことで、簡単な仕掛けで小イカの一匹掛けで待つこと10分。30センチ以上の鯛が釣れてビックリでした。


                <自分で釣った鯛は大きいのだ>

2008年1月5日 (土)
朝、ヨット泊地前の公園でかなり大きい朝市があるというので、行ってみました。すると、新鮮な果物・野菜・魚など、盛りだくさんで、私たちは捕りたてのマグロ(25キロくらい)のよい所をゲットしました。

朝食後、首都フォール・ド・フランスにゆっくり戻りました。
お昼ごはんに昨夜の鯛とマグロのお刺身を食べたことは申すまでありません。さてこの晩がSご夫妻最後の夜で、市内カリビアン・ジャズの生演奏するレストランで夕食とカクテルを楽しみました。

2008年1月6日 (日)
今日の夕方の便でSご夫妻がパリに戻るため、海でなく山の植物園に行きました。海岸と違い山は熱帯雨林そのもので、いろいろな植生の花や木、そして鳥が見られました。中でも花の蜜を吸うハチドリには目を奪われ興奮させられました。


                     <植物園にて>


                      <ハチドリです>

夕方、「人生は面白いもの 楽しむもの」を実感、満喫してご夫妻は機上の人になりました。

旅を続けていると旅が日常になり、日々の感覚がずれて来るのを感じます。そんな中でやはり日本から親しい方がおいでになり、一緒に旅を共有できたことは、私にとってこの上ない幸せの時間でした。ありがとうございました。

……

それから「もっと早くブログの更新をしなさい」とお叱りのメールを戴いております。とはいえ、船の整備や修理業者の打ち合わせなどで時間を取られ、書くほうに気が行かないのです。実は、皆さんに報告したいことは山ほどあるんです。たとえば:

  1. ヨットのロングクルーズは老人ホームに入る前に行くのだろうか? そのぐらい年寄りが多いんです。
  2. 何故こんなにも沢山のヨットがロングクルーズしているのだろう?
  3. 何故こんなにも沢山の若人がヨットで旅をしているのだろう?
その他にも色々と報告したいことがありますが、それは、また別の機会にさせてください。一ヶ月に一回くらいのペースで書いていきたいと考えています。

マルチニーク島に移動 [カリブ海の島々]

みなさん、お久しぶりです。12月19日にメッセージをアップして以来ですね。私たちは、現在、マルチニーク島にいます。セントルシアのすぐ北にある国です。

12月23日午前11時、十日あまり滞在したセントルシアを出港し、その日の夕方、隣りの国「マルチニーク」(フランス海外県)に到着。首都フォールドフランス(Fort-de-France)、街の中心教会前の海岸にアンカーリングしました。

同乗しているレイナルドが早速イミグレーションにVHFラジオで連絡をしました。

「今日はもう仕事が終わったので明日朝事務所に来るように」

との指示でしたが、24日早朝5人で我々のヨットに乗りつけて入国審査が始まりました。やはり日本のヨットは珍しいらしく色々質問を受けましたが、特に問題も無くとても好意的な印象でした。

久しぶりにアップしたメッセージはこれだけではありません。以下の4つのメッセージもほぼ同時にアップしたので、あわせて楽しんでいただくと嬉しいです。

  • 真夏のクリスマスイブ
  • セントルシアの思い出
  • セントルシアで出会った日本の若人
  • ARCのその後

えっと、写真は少しずつ追加していきますね。


真夏のクリスマスイブ [カリブ海の島々]

フォールドフランスという街は、百年前にタイムスリップした如く古びて半分朽ちている建物を使用しており、とても興味をそそられます。

街のあちこちの教会から日に何度も礼拝を知らせる鐘が鳴り響き、その鐘の音が今日クリスマスイブであることを我々に意識させました。

街は夕方前には全ての店が閉まり、昼の喧騒がうそのように本当にひっそりとした佇(たたず)まいに変わりました。しかし、いつの世の若者がそうであるように、どこも爆竹や花火を上げ深夜まで騒いでいました。


セントルシアの思い出 [カリブ海の島々]

さて十日余り滞在したセントルシアですが、人口わずか20万人にも満たない国ですが中々一応国の体裁を整えており、入国管理もカーボン紙を使う等のロウテクノロジー等国の経済事情もあるのでしようが、賄賂を要求される訳でもなくとても公平に扱ってくれて気持ちよく対応できました。

また、人々はとてもフレンドリーでヨットを止めている泊地には絶えず現地の音楽が流れており、特に夜は泊地のそばの広場で繰り広げられるドラム缶バンドやレゲイ音楽、そのそばにある野外バーで飲む1杯5カリブドル(200円)のラムパンチを片手に現地の人と会話しつつ時間をすごしていると、つい今が12月であることを忘れていました。

町の人たちは物価も高くそんなに裕福とは思えませんでしたが、そこはカリブ海。眩しい太陽、爽やかな風、ワクワクするような音楽で、明るく楽しく暮らしているように感じられました(表面的かな)。


セントルシアで出会った日本の若人 [カリブ海の島々]

滞在六日目の夕方、マリーナのカフェーの側を通りかかったとき、日本語の会話が聞こえたような気がしました。振り返ったら、そこに紛れも無い綺麗な若い日本女性が二人居たのです。

「日本の方ですか?」

と、声をかけると、驚いた声で、

「そちらも日本の方ですか」

となりました。

 

海外青年協力隊の隊員の方達で、ここセントルシアには14名の隊員が赴任して国造りに協力しているとのこと。さすがその趣旨に参加する人だけあって出会った若人4名全員清清しくて、ゆっくり又会って語りたいと思う人たちでした。

一日、近郊までセーリングできたことは、若水メンバーや若人4名の良い思い出になりました。


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